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菰田宜久 66年の軌跡
万事塞翁が馬
 

こんにちは。菰田宜久(こもだ よしひさ)と申します。1949年(丑年)6月28日午前10時にアイデアマンの父:主税、気丈な母:正枝のもとに長男として生まれました。血液型は日本人に一番多いA型。好奇心旺盛な正確は父譲りかも知れません。新しいものが大好き。人と話すことも大好きですねえ。

趣味は居酒屋巡りと山。

相反するように思うかもしれませんが、この動と静のバランスが今の私を形作っています。

こんな菰田宜久ですが、過去の自分は嫌な奴だったと自分で思います。

今はそんなことはないと思いますが。

菰田宜久の人生の中で、大きな変化に見舞われ、自分が変わるまでは「嫌な奴」だったと思います。

ほんのちょっとだけお付合いいただき、菰田宜久の生きてきた軌跡についてお話をさせてください。

小学校のころ
小学校の頃、菰田宜久は2度ほどヒーローになったことがあります。
体操が好きだったのですが、ある日空を飛んで(何を言っているんだ!と思うでしょう。ホントに飛んだんです)、体操のヒーローになりました。
いじめられっ子の味方もしていましたね。
テレビが大好きで、累計20ヶ月程近所でテレビ鑑賞をしていました。
小学校6年間=72ヶ月ですから、相当な時間を投資したことになりますね。
​そんな私ですが、機械体操をしていたら、やっぱりまたヒーローになってしまいました。
中学校のころ
中学生になると体操部なのに、「大車輪」ができない!
そのため体操部の厄介者に。
でも全校マラソン大会では再度ヒーローになることができました。
勉強部屋は、自分で自作。リフォーム案件第一号となりました。
そんな中学校時代に、影が指してきます。
親父が失踪し、妹が自殺してしまったのです。
高校のころ
高校に入学すると、すぐに盲腸になってしまいました。
これは焦りますね。
1年生の二学期からはバイト漬けの日々。
憧れの設計部配属
高校を卒業すると、小野工務店という工務店に就職しました。
工事現場の勉強を3ヶ月お願いしたら、現場監督を10年も(笑い)
「設計図が書きたい!」そう欲求する日々。
​給与の半分が本に消えてきました。
当時は現場担当者として、常に億を越えるような大型工事を任されていたので、ヒーロー気分でした。
オレが居なけりゃ会社は回らない・・(*^▽^*)そんな気分だったのです。しかし、そんな期間は一瞬でした。
ある日、社長から言われたのは「これから世の中こういった仕事が重要になるから、担当してみないか?」でした。建築に携わる現場担当者が忌み嫌っていた”雑工事の範疇に入る少額物件”だったのです。
「少し時間を下さい」と言って、3日程考えました。
どうせやらなければならないなら、積極的に取組もうと決め、事業部長に就任しました。
億を越える工事の担当から、数万〜数十万の工事が主体の部門の担当になったのです。事業部はその後、子会社レオックに・・。
そんな中で、雑工事を@「増改築工事=リフォーム工事」にしてきたのです。売上も、利益率も改善しながら「地域密着経営」に取組んで・・・。先例のないことにも積極的に取組んで・・・。「誰か指導して欲しい!」「詳しく学びたい!」と思っても、そんな方はどこにもいませんでした。
​仕方なしに独学で行うことも多く苦労はしましたが、それが今活きています。
レオック
雑工事を任されていた私が、業界の有名人に変身したのは
レオック。
地域密着経営でリフォーム業界に旋風を巻き起こすことができました。
その時お会いした人との繋がりが私を変えてくれたのです。
なんと当時の社外での講演回数30回。
高収益リフォーム会社の準備は整った、、とおもわれました。
しかしまた、嵐の中に放り込まれるのです。
なんと、突然の社長解任。
もうその時はなにも考えられなかったですね。
人生、最悪、と思いました。
当時の私の逃げ場は家庭菜園。一人で畑いじりをするのが趣味でした。
また有り余る体力を活かして登山をはじめました。
そして第三の人生
講師業、そしてリフォーム業コンサルタント。
迷いはありません。心配は少しだけあります。
皆様とお会いできるのを楽しみにしております。

​菰田宜久について

Yoshihisa Komoda
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